★ 多種多様な犯罪事件について ★

罪を憎んで人を憎まず、
この言葉は果たして真実なのだろうか?

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  1. 都内だけで行方不明者はゴマンといる。仏(ホトケ)さえ出なければ、警察は捜査しない――。
    元警察官らがこう考え、連続殺人事件を起こしたのは1984年10月のことだった。
    主犯は、警視庁の機動隊員などを経て警部に昇任し、40歳を過ぎて退職した澤地和夫だった。

    割烹料理屋を開業し、膨らんだ借金
    退職して3カ月後、かねてから考えていた割烹料理屋を新宿駅西口で開業した。

    開業資金の4000万円はほぼすべて借金。国民金融公庫、2つの信金、ノンバンクなどから借り入れ、現職警察官5人が保証人になってくれた。
    身の丈を超えた借金の額だったが、警察官が安心して飲める店として繁盛した。
    開業前の不安は消え、澤地は金融機関への元金返済を半年間据え置く一方、元同僚警察官には料金を格安にして、閉店後に従業員を引き連れて飲みに繰り出し、ぜいたく品も購入した。
    しかし元金返済がはじまると赤字が累積しはじめ、すぐに高利のサラ金に手を出すようになる。
    警察官にも金を借り、何人かは、公務員として禁じられているサラ金の保証人になってくれた。
    入居していたビルの家主が倒産し、預けていた保証金2500万円が焦げ付く不運も重なった。
    暴力団関係者にその取り立てを依頼したが失敗する。

    開業3年後、金策に走る日々が続いた末に閉店に追い込まれた。
    澤地の借金は1億5000万円にのぼり、そのうち5000万円は元同僚警察官など個人に借りたものだった。
    借金返済に追われながら、さらに深みへと。
    頼った警察官は20人を超え、1000万円の借金を抱えて自宅を差し押さえられたり、警察の信用組合から700万円を借りて日々の生活費に事欠く人まで出た。
    ノンバンクは保証人となった警察官が勤める本庁や所轄署に、土曜日の午後に返済を求める電報を打つなど嫌がらせを繰り返し、皆、澤地に泣きついた。
    閉店後、澤地は借金返済に追われながら様々なブローカーや金融屋と知り合い、彼らを利用し、逆に騙されながら、深みにはまっていく。

    数カ月後、「椅子に座っているだけでいい」と暴力団関係者に誘われ、月50万円の報酬でビデオの生テープを扱う会社の社長に就いた。
    それは、商品を仕入れて売りさばいた後に倒産する、取り込み詐欺が目的のペーパー会社だった。
    また、暴力団関係者に100万円の手形の割引(現金化)を頼まれた時には、手にした現金を借金返済に当ててしまい、小指を詰めるハメになった。
    再起をかけ、金融会社社長に100万円を借りて千葉県津田沼市で調査会社を立ち上げたが、仲介者に事務所の家賃をネコババされた。

    見せ金1000万円を持ち歩く宝石商
    犯行のきっかけは、担保流れの新車を売りさばく自動車金融屋に“獲物”を紹介されたことだった。
    金融屋の客の1人に、安い宝石を高く売りつける宝石商(36歳)がいた。
    見せ金のために現金1000万円をアタッシュケースに入れて常に持ち歩いていると聞いた。
    バーで待っていると、首や腕に金ピカの鎖を付けた宝石商は、確かに黄金色のアタッシュケースを持っていた。
    それが獲物に見えて頭から離れなくなる。
    同じ頃、在日韓国人の李(48歳)という男から、違法ポーカーゲーム屋を開くに当たり、「警察のガサ入れ情報が欲しい」と協力を求められた。
    情報を取れる自信はなかったが、「半年やれば1億、2億になる」と言われてその気になった。
    この話が進まない中、「人を殺してでも金を手に入れたい」と李に話すと、10億円を超える負債を抱えて倒産し、「金になるなら少々ヤバイことでもやる」と言っている不動産業者(35歳)を紹介された。
    澤地、李、不動産業者の3人は、宝石商を騙して金を奪う計画を立てる。

    山中湖の別荘で
    宝石商はサファイアの指輪を2個見せ、「1個1000万円」だと話した。
    澤地らはせいぜい1個数百万円だろうと思いながら、「厚木市に住む大金持ちに話せば、指輪2個を担保に6000万円を引っ張れる」と持ちかけた。
    宝石商は見せ金の現金を持参した上で交渉に臨むことを了承した。
    もちろん大金持ちなど存在せず、不動産業者が扮することになった。
    澤地と李は宝石商を車に乗せ、大金持ちに扮した不動産業者が途中で合流し、不動産業者が所有していた山中湖の別荘へ向かった。
    別荘に着いて、しばらく架空の交渉を続けた後、「芝居はもうやめだ。このバカ野郎」と澤地が宝石商に言い放つ。
    立ち上がろうとする宝石商を澤地が押さえつけると逆に頭突きをくらい、加勢した李もまた頭突きをくらって鼻血を出した。
    乱闘になったが、宝石商が倒れ込むと、口の中に布を詰めた。その口から、「……助けてくれ」と弱々しい言葉が漏れた。
    殺害後、澤地らは現金と宝飾類を奪い、遺体を床下に埋めた。
    澤地が割烹料理屋を閉店して1年あまり、李と知り合って3カ月、李に不動産業者を紹介されてわずか10日のことだった。

    第二のターゲットは女性
    直後、李が大阪を経由して韓国に逃亡したため、第2の犯行は澤地と不動産業者の2人で行うことになる。
    ターゲットは、澤地が200万円を借りて、厳しく取り立てられて来た金貸しの女性(61歳)だった。
    不動産業者が今度は千葉県我孫子市の土地所有者に扮し、土地を担保に女性から3000万円借りる話を取り付けた。
    澤地は車に乗り、約束の午後1時に埼玉県上尾市のマンションへ女性を迎えに行った。
    助手席に女性を乗せ、土地所有者に扮した不動産業者が途中で後部座席に乗り込み、我孫子市へ向かった。
    2人は、どのようにして女性を殺害するか決めていなかった。
    1時間走り、女性がウトウトしはじめると、澤地が不動産業者へ視線を送った。
    それを殺しの合図だと思った不動産業者が、準備していた白いロープで後ろから女性の首を絞めたため、澤地は慌てて左手で女性を押さえて加勢した。
    「手がしびれた、代わってくれ!」と不動産業者が叫ぶと、澤地が代わって左手で首を圧迫し、右手で鼻と口をふさいだ。
    女性が動かなくなった後、車のトランクに入れて山中湖の別荘へ向かった。
    午後5時頃、別荘に着いてトランクを開けると「イーヒイ、イーヒイ」と女性が呼吸していた。澤地は冷や汗を感じたが、右手で鼻と口をふさいで左手で首を絞めた。
    女性の顔も首も汗でベトベトだった。生きていた証だと、澤地は怖ろしくなったが、遺体を床下に埋めて現金を確認した時には、自分の顔が微笑んでいるのが分かった。

    犯行から1カ月半後に逮捕
    澤地は獄中で手記を発表し、事件の詳細を明かした(『 殺意の時 』彩流社)。
    その後、死刑囚の生活を書いた『 死刑囚物語 』(彩流社)、死刑制度を問う『なぜ 死刑なのですか』(つげ書房新社)なども遺している。
    当時取材した記者によれば、澤地らは宝石商を殺害した後、付けていた指輪が取れなかったため、指ごと切り取って持ち帰っていた。
    それをブローカーに持ち込んで換金を依頼したが、指輪には肉片が付いたままだったと語られているという。
    最初の犯行から1カ月半後、警視庁の捜査員が澤地と李を逮捕。
    金貸しの女性の家族が捜索願いを出し、澤地が乗せた車から足が付いたと見られる。
    死体さえ見つからなければ裁判で有罪にならない――繰り返し澤地にこう言われていた不動産業者は、2人の逮捕を知ると、知人を連れて山中湖の別荘へ向かった。
    床下を掘り返し、2つの死体をそれぞれ布団袋に入れて麻縄で縛り、車に積んで約50キロ離れた秦野市の山林へ行って埋めた。
    しかし澤地らの自供により不動産業者も逮捕され、警視庁の捜索隊は死体を収容した。
    雑木林の斜面に埋められ、落ち葉で覆われ、穴が掘られたことすら分からない状態だったという(朝日新聞84年12月1日)。

    逮捕から3年後、澤地と不動産業者に死刑、李に無期懲役の判決が下った。
    不動産業者は控訴、上告が棄却された。
    澤地も控訴を棄却されて上告したが、93年7月に上告を取り下げて死刑が確定した。
    当時、後藤田正晴法相が3年4カ月ぶりに死刑執行の命令書に署名し、澤地は抗議を込めて取り下げたとしたが、
    面会に来た弁護士には「最高裁まで争わないほうが(死刑を)執行されにくい」と話したという。
    (朝日新聞93年7月21日)その通り15年近く執行されなかったが、2007年10月に胃ガンが見つかり、翌年12月、多臓器不全により東京拘置所で死亡した(敬称略、李は仮名)。

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